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第2回勉強会議事録

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「医師のキャリアパスを考える医学生の会」第2回勉強会が慶応大にて開催された。10大学から44名の参加があり、盛況となった。

慶応大学医学部漢方医学センター センター長 渡辺賢治先生

司会:慶應大学医学部4年 吉野雄大
講師:慶応大学医学部漢方医学センター センター長 渡辺賢治先生


司会:第一回は国立がんセンター中央病院院長の土屋了介先生を東京女子医大にお呼びして、参加者八十数人来ていただいた。
今回は、漢方医学センターのセンター長であり、内科の専門医資格を持ち、以前糖尿病の内分泌会に所属しており、土屋班(「医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)の あり方に関する研究班」)では、新しい後期研修カリキュラムについて討論し、どのような医者になるか宣言する白衣式の慶応大学医学部での立ち上げ、など多方面で活躍していらっしゃる、日本版総合医、漢方医学センターの渡辺賢治先生に、日本版総合医についてお話していただく。

渡辺:皆さん挨拶がよく、全ての基本であるコミュニケーションがしっかりできていてよいです。それぞれの大学の中でも意識が高い人が来ているのだろう。自分自身がアメリカでの内科専門医、漢方をやっている、という両方の立場を踏まえ、また、初期研修の経験も交えながら話させていただく。このキーパッド、導入したのは実は私。慶應医学部の1年から6年まで全員持っていて、小テストもでき、出席も取れる。が、出席を取らない風潮があるので基本取られていない。今日のアンケートではこれを使う。
医学生の会は大賛成。自分たちのことは自分たちで決めるのが大事。私は5年生の女の子との対話をきっかけに、直で学生の教育への声が医学部長に伝わる『医学教育を考える学生の会』を作った。お金を払っているのは学生だから、学生はきちんとした医学教育を求める権利がある。しかし、卒後に関しては医学生の思い通りにはならない。社会の風潮や、病院側の意見もある。でも、自分の道を自分で決めるのはいい。だから医学生の会には賛成。

司会によるキーパッドの使い方説明

渡辺:最初にアンケートをとる。
学年について。
渡辺:3年生が1番多く、次が1年生、意識が高い1年生が多い。慶応では違うよね。

将来のキャリアパスについて。
渡辺:総合医と臓器別専門医が半々ぐらいで、その他が少し。メディカルプリンシプル社などの医学生サポートする会社の調査によると、半数くらい総合診療医だからこんなもの、特に偏りはない。

最終的な勤務先はどこを希望するか。
渡辺:500床以上の基幹病院で働きたいという人が最も多い。

渡辺:大学病院で働きたいという人手を挙げて欲しい。どういうことをやりたい?
女性:小児精神をやりたい。
渡辺:クリニックの人はどうか。どういうクリニックをやりたい?
男性:島、陸でも孤島みたいなところ。頼られながら医者をやりたい。
渡辺:君は出身はどこ?
男性:茨城県土浦市。
渡辺:島はないよね?
男性:島はないが医療過疎地域があるので。
渡辺:長崎大学の前田先生のことを知っている?
男性:はい、なんとなく。
渡辺:この分野では第一人者だからね。今度土屋班にも呼ぼうと思っている。大学でひとつの歯車としてはたらくより、逃げない医療をするのはいいと思う。

渡辺:本日の一つ目のtake on message。今後日本は超高齢化社会を迎える。北欧では社会福祉が発達しているが、今破綻してきている。しかし、日本はその先を行っている。医療崩壊は始まったばかり。何年続くかは君たち次第。君たちが変えていかないと医療崩壊は続く。

渡辺:では、医療崩壊はなぜ起こったのだろう?
女性:医療費に関しての無計画な削減。
渡辺:医療費の削減、そうですね。ありがとう。
男性:医療崩壊というのはどの崩壊を指しているか?
渡辺:現在医療はどこも崩壊している。
男性:国民皆保険でささいなことで病院や大学病院などの研究機関に来る。
渡辺:今のはトリアージ機能のこと。
男性:医学は万能で、治らなかったら医者が失敗したとなってしまっている。
渡辺:日本ほど乳幼児死亡率の少ない国は無い。日本人のメンタリティが不老不死を究極まで目指すところまできてしまった。社会で医者を支えようというのが足りないのかもしれない。
さらには、医者対患者は病院でしか向かい合わない。それで医者は完璧に治してくれると思う。でも実際には医者も人間である。医者と患者、本来は同列でより信頼しあい良い社会を作りたいという方向なのに、現在崩れてしまっている。
もう言い尽くされてしまったかな?
女性:女医が増えているのだから、育児しながら働ける環境を。
渡辺:これは他の分野でもそう。大事な視点。
男性:医者の一極集中と訴訟が多い。モンスターペイシェントなど、感情的になる人が多いのも一因。医者も学校も、任せっきりの人が増えている。
渡辺:そう、依存心が強くなっている。他には?
男性:医療の環境が変わった。高齢化や機械の価格の高騰によるコストの増大など。
渡辺:そう、社会的環境が変わった。

じゃあどう変えたらいいかみんな考えて欲しい。悪循環を良循環に変えるために、あるところだけでなく全体を見ないといけない。

社会の構造が変わってしまった。まず、人口構成が変わった。団塊の世代が高齢化すると超高齢化社会になる。この古いデータでは2050年には、1/3が65歳以上となっている。実際には高齢化が予想より早く進んでいる。つまり、より少ない生産者がより多い非生産者を支えなければならなくなる。そして、このような状況が何十年も続く可能性がある。若い人になると受療率が低く、65歳以上になると高くなる。長年使っていると内臓も傷むし、病院にかかる人が増えるのだ。しかも、昭和40年と比べると、高齢者でも病院に行く人が増えている。老年科をはじめて作ったのも慶應、はじめて潰したのも慶應。小児科以外が全部老年科になりアイデンティティが失われたのだ。高齢化にしたがい医療費が上がっていく、その中でも老人医療費が上がっていく。実はGDP比でも日本は世界で最も低いコストで長寿命を得た、WHO的に最も成功したモデルだった。しかし、高齢化すると、労働人口が減って、高度成長の時代と違って社会構成が変わり、内需が増やせなくて公共事業を増やそうということになるのだが、医療もサービスと考え、それで内需を伸ばそうという考え方もある。しかし、国はむしろ医療費をカットして今のようになってしまった。

老人は年齢が高くなればなるほど、色々な科にかかるようになる。それぞれの科にかかるとどの先生も2、3個くらい薬を出すので、5つの科にかかると10種類くらいになる。そして家に帰ってからインターネットで調べて、これは自分に合わないと判断して捨ててしまう、そういう無駄が出ている。高齢者の方は1つの疾患に立ち向かうより、どうやって多種の病気に立ち向かっていくかというのを考えよう。
ちょっとその前に質問しよう。一人ひとりの医療費という意味ではなく、国民全体の医療費という意味で医療費は削減すべきかどうか。

増やすべきという意見が圧倒的だよね。現状維持もいる。削減すべきという人は挙手してみて。挙手する勇気がないかな。意見を聞きたいのだけれど。

女性:一人当たりの医療費は減らせる。自助努力で健康を維持して病院にかからないことで医療費を減らせるのでは。

渡辺:そうだね、予防医学は重要だね。
現状維持の人、誰か意見いいたい人いる?いないようだ。
どうしても増やす方向に向かってしまうんだけれど、どこをどの程度増やすかを考えなければならない。感染症中心の治る病気の時代から、生活習慣病などの複雑な疾病の時代になり、どうすれば治るという方法がすぐには無い。そういう風に疾病構造が変化している。
ところで国民皆保険の話が出たがこれは良い制度だろうか?私は良いと思う。貧富の差なく誰でも医療にかかれることを国が担保しているのは素晴らしいこと。では高度医療に関してはどうだろう。さっき誰かも言ってくれたが、前立腺を重粒子線治療するのに300万かかる、とかまで保険でまかなうことはできない、最低限のところを担保して、自由診療は民間に任せようという方向になる。民間の癌保険などいろいろ出てきており、誰がなんと言おうと、保険は2層構造になってきている。1955年、まだ日本が貧しい頃、労働者を守るために病気を治す、そのために健康保険が生まれた。そういう人たちの病気は治る病気だった。今は第一次産業に従事する人は減って、第三次産業に従事する人が増えた、というように社会構造が変わった。医療が慢性疾患に対して心も体のバランスを最後までカバーするという風に疾病も医療も変わったのに、保険は労働者の治る病気のみに対応した構造のまま。
総合医はなぜ必要なのか。例えば65歳の人が腎臓も心臓も悪いとすると、全てを最先端治療で治そうとすれば、心臓を直せば腎臓に負担がかかるなどなってしまうので、無理。なので総合医が全体を見て判断するという風にしなければならない。むしろ病気と共存させる気持ちで判断しなければならない。私が学生の頃は、内科の先生方は手で、5感で診察する時代だった。一人で内科全部診ることができた。埼玉医大の鈴木洋通先生などは、触ってアッペでも何でも見れた。でも今は専門医で内科医でも専門以外は診れないという。体全体がつながっているという意識をもっと持たないといけない。私は漢方の医者をやっているが、患者さんは漢方の医者には何でも、他の医者には言えないことまで話してくれる。例えば老人ホームのかかりつけ医がアリセプトの投与量を3ミリから5ミリに変えてくれない、なぜかというとその先生は他の医者の処方を全く変えず、紹介状ばかり書いている。大学病院で循環器内科に15年いて、他の事は診られない。その先生は回診では握手をして「100点」というだけ。思わず、それならあなたでもできますと言ってしまった。この医者には循環器内科以外の視点が無い。どう思う?
男性:手抜きだ。
渡辺:はっきり言ってしまったら手抜きだね。これは循環器内科が悪いわけではない。自分のマインドが循環器内科に固定されてしまっているから。
男性:うらやましい。
渡辺:それをうらやましいと言ってしまうのも問題だが…
看取りのできる医者が少ない、ということも感じている。超高齢化社会を迎えているから看取りの必要は増えているはずなのに、である。ちゃんと看取れる医者というのは、患者さんに誠意を見せて看取れる医者。こういうことのできる医者は減っているが、これから医者になる人はこういうことを避けては通れない、それが私の考え。開業医はビル診が多く、夜はやっていないが、それでは看取りはできないと思う。看取りが縁遠い存在になってしまった。
ここにいる皆さんは東京から来ている人がほとんどだと思うんだが、医者の数は地域によって大きく異なる。東北とかは悲惨な状況。でも実は一番医者の数が少ないのは埼玉と千葉。平成16年、初期研修が導入されたとき、初期研修が全て悪者だとなってしまったんだが、本当はそうではないことを知ってほしい。これは医療崩壊の序の口にすぎない。千葉の県立東金病院の平井院長と話をしたのだが、千葉県というのは本当に医療過疎で、銚子病院もつぶれてしまい、亀田総合病院と旭中央病院の間の一帯は医療過疎になっている。その中で千葉大が医者をグーッと引き上げてしまい、いろんなところで医者がいないとなった。これだけ医者がいないと言っている中で、地域でちゃんと再生している病院がある。どういう所だろう?こういうのは慶応の学生が得意か?そうでもないか。
男性:医者と患者のコミュニケーションが取れているところ。コミュニティが診療所を支えようという意識がある。
渡辺:それも1つの正解。鹿児島から埼玉に来て医療崩壊を食い止めた先生がいるが、ボードメンバーに患者である住民の名前も入れるなどの取り組みをした。これは今回の流れとは違うが、正解。

夕張市民中央病院を知っていると思うんだが、崩壊した地域病院を建て直す医者を尊敬する、はいかいいえか。
圧倒的にはい。2%、すなわち一人だけいいえ。天邪鬼的な人がいる。

じゃあ自分が立て直しに関わりたいか。今回誰が何を出したかはわからないようになっているので自由に答えて欲しい。
結構はいと答えた人がいる。これは志が高い。今日の会をやってよかった、志高い人たちが刺激しあっている。

臨床研修システムが悪いとなっているが本当はどうか。大学病院が引き上げて、依存していた病院が立ち行かなくなった。これは事実。
日本の医療システムそのものが高度経済成長を支えたシステム。超高齢化社会を迎えたのにいつまでも昔のシステムに頼っているのは深刻な問題。麻生さんは医者は非常識だと発言したが、私もそう思う、それは社会と隔絶してしまったという意味で非常識だと。社会と一緒に変わっていこうという気がない。
男性:残業代が出ない、90時間も残業しているのに。
君はそういう意味に捉えたか。それはちょっと意味合いが違う。確かに飼いならされている、そういう面もある。社会のニーズに合わせて医療を再構築する必要がある。社会の疾患を治すというスーパードクターも要るが、それだけでなく全人的に見られる医者も求められている。こういった医者の育成が必要だが、医者だけではできない。地域の住民、行政、医療産業、マスコミなど全部が手を取り合ってどうやって医療崩壊を切り抜けるか考える、そういう時代。どういうことを土屋班で考えているかといえば、梶井先生という江別市立病院の院長先生を呼びたいなと思って渡邊清高先生と話をしている。江別市立病院では医師が12名いたのがいなくなってしまった。このとき院長はどう動くべきか。人事は全部医局ごとに行われている。小さなピラミッドがたくさんあって、教授が天皇で全て支配しているという非常に効率の悪いシステムで、よく批判されている。今ではだいぶ変わってきたが、昔は本当に怖かった。教授室に日本地図があって、こいつはここに派遣と将棋の駒みたいに動かしていた。そういう風に各科の教授に派遣をお願いしてきたが、北海道だけでなく全国で崩壊している。医者が減ると赤字になる、赤字になると医者が減る、という悪循環。勤務医の勤務環境が悪化して医療が粗くなり患者に訴えられ、もうこんな職場やめてやると。そういう悪の循環になったのがここ3年くらいの話。江別市民病院どうやって再生したかというと、内科医が0名になってしまい、北海道庁など四方八方手を尽くして医者を集めようとしたが集まらなかった。そこで医局に頼るのはやめようということになった。北海道には総合医を育てるプログラム(ニポポ)があったのでそこを支援することにした。それで内科医が札幌医大から4名、ニポポから2名となり回復の途上にきたと。まだ完成したわけではないが、これはひとつのモデルになる。パラダイムシフトが必要という例。これまで病院の内科では臓器別専門医を各科別に医局に頼んでいたのが、2人くらいは内視鏡やカテで専門医が要るが他は総合医にしてカバーすることが必要。私も地方の病院で循環器内科医だったが、それ以外は診れないでは済まされなかった。もっと中規模小規模の病院になればなるほど診れないというのはありえない、色んな患者さんを診ないといけなくなる。そこで多数の総合医+少数の臓器別専門内科医という形にした。こういう形で再生できた病院はとても少ない。多くは結局今までどおり医局に頼んで断られてという経過をたどっている。自助努力で回復できたところの他の例が東金病院。色々な所で社会の変化に対応しようという動きが出ている。医師会も教育に目をむけるようになったし、3プライマリ学会(日本家庭医療学会、日本プライマリ・ケア学会、日本総合診療医学会)も来年統合することになった。

地域の家庭医、総合医にとって何が大事かを考えてみると、プロフェッショナリズムを挙げることが出来る。千葉の県立東金病院でのケースを次回の研究会で取り上げる。この部屋の下の階でやるので、来て欲しい。
イギリスやアメリカの総合医、家庭医のシステムをそのまま輸入し日本でも導入する、という手法が考えるが、そうではなく日本独自のシステムを我々で作っていかないといけないと考える。これは土屋班のコンセンサス。日本みたいな高齢化がここまで進んだ国は過去にも今にも他に例がないので、自分たちでシステムを作らなくてはならない。
よく言われるが、物事の見方は一つだけではない。医者は色々な物の見方が出来ることが求められている。その目は医学部在学中に養われていく。入学時の学生は患者の目なのだが5、6年になってくると、例えば茶髪の奴が髪の毛を黒くしたり、髪の毛を短くしたりして見た目が医者っぽくなってくる。同様に態度のほうも段々と偉そうになって、医者の目になっていく。
カリキュラムは教官のものではなく学生のもの、という風に考え方が段々と変わってきた。それと同様に医療は医者ではなく患者のもの、といったパラダイムシフトをしないといけない。しかし現状ではカルテは医者のものであるなどと、まだまだパラダイムシフトの途上であろう。
患者さんの目線で考える、このことは医者として譲れない点である。インフォームドコンセントは実際の現場では、とにかく同意を取ればよいという感じで認識されている場合もあるが、本来はお互いが納得して医療を進めるためのものである。上下の関係では絶対上手く進まない。
スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』という本が一時期流行った。その本の最初に書いてあるエピソードをここで取り上げたい。
電車に乗ってみたら子供が7人ぐらい居て、彼らは騒いでいる。しかし一緒に乗っている父親らしき人物は注意しない。うるさいな、なんで父親は注意しないのだ、という具合に周りの乗客らはカンカンに怒っていた。で乗客が父親に注意したら父親が、たった今彼らの母親が病院で死んだ。で子供たちに注意が向かなかった、と言う。先ほどまで乗客から父親に向けられていた怒りが、急に同情心に変わる瞬間である。

仁=人+二からなっている。これは対等に相親しむこと、お互いが相手を人として扱うことを表している。医学部でのコミュニケーションなどの授業で、
ブラックジャックみたいに、腕はとても良いが人間的にちょっと偏っている医者か、慈愛心にあふれているが腕が悪い医者か、あなたが患者ならどちらを選ぶか?
という質問は良く使われるが、これは実際のケースを無視した質問である。実際は多くの場合で両方を備えているか両方具えていないか。時々、片方だけしか具えていないという医者も居るが、それはごく稀。
このスライドの絵はMayoクリニックのスターンという先生の本から取ってきたのだが、知識はあって当たり前。コミュニケーションスキルもあって当たり前。アメリカではコミュニケーション教育にたくさんのお金を投資するが、日本ではそうではない。その上にexcellence、つまりたち振る舞い、humanism, accountability, altruism利他心、これらが全て備わってはじめてプロフェッショナリズムと言える。単眼と複眼、というのがあるが、医師は複眼を持たないとならない。
最後に私の専門分野である漢方について。今では全国80の医科大学の全てで漢方の授業が開講され、病院でも日常的に使われている。過去にタミフルと麻黄を併用した方がそれぞれ単独投与より早く治るという研究で実験データを取ったら、確かに併用することでタミフルだけの場合より早く直ったが、実はデータを見てみたら併用よりも更に漢方のみでの治療の方が早く治ってしまった。おまけに薬価を考えると薬剤費も4割減らせる、という結果になった。
高齢者の疾病というのは1つの臓器を治療すれば良い、といったものでは無くて全体を見て治療しなければならない。そういうときに漢方は非常に役に立つ。
総合医が遭遇すると思われるcommon diseaseのうち8割の疾病で、漢方を第1選択に出来る。すると薬剤費が削減出来る。だから土屋班にも私を入れてもらっている。私の個人的な1つのcriteriaとして、漢方が良い、漢方に関心があるというような医者は臨床が出来るし、漢方は良くないという人は臨床が出来ない。これはなぜだろうか。
医者になると最初の1ヶ月で挫折感、無力感を感じる。本を見ると色々な病気が出てきて、それに対する治療法がちゃんと書かれているので疾病は普通に治りそうだが、多くの患者さんの病気は治らない。そういう状況に直面した際、どうすればこの患者さんは直るだろうか、と考えないとただのroutine医者になってしまう。何ができるか考えるのが大事。その際に漢方はどうだろうか、効くだろうか、などと考えるわけだ。したがって、これは私のクライテリアになっている。
最後にまとめ。
ここまで、総合医について、コミュニケーションについて、漢方について取り上げた。
総合医は、今は未だ専門のできない落ちこぼれだと思うかも知れないが、実際はそうではない。土屋班においても、そう話をしている。

さて、ここで聞いてみたいと思う。日本版総合医の創設に賛成か、条件付賛成か、反対か。
さてどうか。結果を見てみよう。賛成が圧倒的、条件付賛成とあわせて100%。反対がおらず逆に残念。色々聞けたのに。

では次に総合医になりたいか、臓器別専門医になりたいかを聞く。
女性:小児科医はどこに入るか?
解釈によっては総合診療医にも入りうるし、臓器別専門医に入りうる。例えば、子供の白血病を治療したい、I型糖尿病の仕組みを究める、といった場合なら臓器別専門医であるし、子供の疾患を広く治療したい、この場合は総合医。
深く考え込まないで選択して欲しい。では、結果を見てみたいと思います。総合医が圧倒的だ。なんだか私が仕向けたみたいだ。

これで終わり。

司会:渡辺先生ありがとうございました。それでは会場からの質問に移りたいと思う。先生へのご質問はあるか。

思い思いの質問・意見が会場から次々飛び出す。


慶応4年男性:総合医だけではなく臓器別専門医であっても、当然ながらコミュニケーション能力もプロフェッショナリズムも必要だと思う。昨今の小児科医、産科医の大幅減少は訴訟が原因といわれているが、訴訟を提起する原因として、医師への不信感があるのではないか。訴えられている医者に後で聞いてみると、おかしな行動をとっていることがある。
また、私たちはプロフェッショナリズムを医学教育で習っていない。先生の時代も同様にそうである。そんな状況で誰が教えるのだろうか。その理想などは誰が考えるのか。

渡辺:これはなかなか厳しい質問。裁判などの紛争になっているケースでは、医者の説明が悪かった、医者が嘘をついていたなどが8割9割を占めている。医者は(総合医・臓器別専門医に関わらず)誰もがコミュニケーションスキルを身につけないといけない。
誰がプロフェッショナリズムを教えるか、というご質問についてだが、天野先生が主催している慶應の医学教育の再構築の委員会で、新カリキュラムではコミュニケーションの授業を1年から6年まで通して、授業の枠を取ってある。
で誰が教えるかというと、実は私もこの委員会のメンバーなのだが、われわれ教員は医者なのだが、実は教育学などを学んでいない。医学教育は大事なので力を割きたい、がまだまだ詳細については決まっていない。アメリカではいろいろな事例などがあるようだが。答えがあいまいですみません。

女子医大5年女性:4年生のときに東洋医学研究会の部長をやっていた。今日ここに来て、全国の大学の人と意見交換をしたが、みんな漢方を総合医のカリキュラムに入れるというのに賛成のようだ。ところで先輩の友人で現在研修医の者から、先生に質問したいことが3つくらいあるとのことでメールをもらった。よろしければご回答をいただけるか

メールの内容:
私は長野県で研修医をしている。私の職場・地域の状況として、中規模病院が圧倒的に足りなくて、また診療科が細分化されすぎ、ということが挙げられる。
それでは質問に移る。

一つ目。総合医の制度が作られても、「専門家ではない、中途半端な医者が増えただけ」だというようにコメディカル、地域住民から見られてしまう恐れがある。総合医制度が信頼されるためにはどのような対策が考えられるか。

二つ目。総合医が腕を振るうにはすぐ相談できる専門医が必要。だが人手不足、また人口密度が低いので専門医の居る場所まで車で2時間。そのような場所で、総合医をバックアップする方法はどうしたらよいか。

三つ目。病名漢方からの脱却を図るべき。病名漢方を抜けて、全身を診れるようになるにはどれくらいの時間がかかるか。

渡辺:では質問に一つずつ答えていく。
一つ目。あきらめない医者になってほしい。壁にぶち当たったときに、あきらめて引き下がって欲しくない。医者は生涯勉強しなければならない。たとえ話だが、かわいい子に長期間旅行をさせるときに、食料となる魚を大量に持たせるか、それとも魚を取る方法を子に教えるか。世の中では取る方法を教えるほうに現在では変わっている。医者の場合でも同じで、俺は総合医だと言って、勉強を止めてしまったならば、コメディカルや患者に馬鹿にされる存在になる。漢方をはじめてからいろんな患者さんが来たが、これは無理です、と患者さんに言ってしまったら負け。プロフェッショナリズムを持った医者なら、なにくそと思って、勉強するのが大事。地域によっては文献を入手する方法などが大変だろうが、不断の努力をすれば馬鹿にされることは無い。

二つ目。前回の会の土屋先生の提言に、ご質問の答えがある。離島などに行くと医療の知識が向上しなくなってしまう。一旦戻って研修してから島に戻る、などの対策が考えられる。もう1つはインターネットを利用する。たとえば産婦人科の先生用のメーリングリストがあるのだが、ある医者が「〜〜で困っているのだけど、だれか教えて」と流すと、それに返す医者がたくさんいる。このように知識を得る手段は最低限確保しておくべき。車で2時間の場所まで行く、以外の方法もあるはず。

三つ目。12/5に21世紀漢方医療フォーラムが開かれる。会合の最初は研究班の土屋先生でなく実は私たち。もしお時間があるなら、そのご質問をメールでお送りいただいた先生、もしくは貴方も来てくださるとありがたい。研修での内科半年外科3ヶ月とかと違って、漢方に3ヶ月いても意味がない。common disease 30個だけくらいならもっと早くできる。よって漢方を専門にやっている病院で漢方の研修という形を提案するつもり。風邪に葛根湯では、風邪にPLと同じこと。難しく考えなくていいかなと思う。日本漢方医学会でも総合医と専門医とで2段階がまえで考えている。

東大3年男性:2つ質問がある。
一つ目の質問。産婦人科医、小児科医が不足しているが具体的な解決策はどう考えているか。私の意見としては、産科医、小児科医は不足だが、眼科医など都市部では余っている。(眼科医が多いのは眼科医の労働環境が他の科に比べて比較的良いからだと思われるので、)医療費を増やしてその増加分を傾斜的に産科医小児科医にまわせば解決する、と考えているがどうか。

渡辺:いくつか事実誤認がある。最近では産科医、小児科医は少し増えてきている。また眼科医は都心ですら余っていない。保険点数の決定は行政がやっているが、安心して働けるようにすることが行政の役割として重要かな、と。こないだの事故(墨東病院の「たらいまわし」事件)に関連して、日本では乳幼児の死亡率は低い。日本の産科医のレベルはかなり高い。それをさらに高めろ、というプレッシャーは彼らにとって良くない。この間の事故で問題だったのは連携である。産科医一人より二人の方が心強いだろうと。
ところで君が救急の患者を見たらどうするか?

東大3年男性:まず心拍をとるとか…

渡辺:バイタルも大事だが、近くにいる医者を呼ぶのが大事。
要するに小児科医、産科医を孤立させないというのが大事。

東大3年男性:
二つ目の質問。総合医を育てるには全てのことに精通しなければならないので教育が大変だが、呼吸器外科などのスペシャリストも医療現場には必要。研修の早い段階で専門医に進むカリキュラムがあってもいいのではないか。そういう研修システムについてどう思うか。
渡辺:それは昔の制度そのもの。今は初期研修が義務化され、また制度が変更されて、いろいろ意見はあると思うが、良いように変わったと思う。
東大3年男性:中にはそういう要望もある、ということを申し上げたい。
渡辺:研修制度の変更の際に同じことを言う人もいたが、それに対して言われたのは、「他の科も見ろ」と。それが大事だと。お互いの科の動きがみられるという点では初期研修も意味があると思う。

日本医大4年女性:医学教育は学生のためにある。「教育は学生のもの」という考えを持っている先生もいるが、一方でそうでない先生もいる。また、「うちの大学はこういう特色がある」、などとそれぞれの大学が謳っている中で、どういう風にして総合医を育てていけばいいだろうか。
渡辺:今の入試に関して、残念ながら教育内容ではなく大学の偏差値で決まってしまう。そうではなく例えば、「慶應では変な教育していて、私の肌に合うから慶應に行きたい」、とかがあってもいいと思う。
先ほども申し上げたが、教員は教育に関して何も学んでいない。慶應の中で「自分たちの医学教育を自分たちで変えよう」という動きができたことに私は誇りに思うが、その流れをつぶしてやろうという教員もいる。そのような意識は変わっていくといいのだが、医学教育はマイナーなので、全体が変わっていくのには時間がかかるかもしれない。だが上手くつながってくれるとうれしい。

司会:極論を言えば、医学部の先生が正月に、小学生の(塾の)正月特訓でも教えてみればいいと思う。「相手に伝わらない」という無力感を正月特訓を通じて感じて欲しい。教育は伝え方だとおもう。アツい人が医学を教えて欲しい。

渡辺:今日の話でも、話す内容を自分で全部決めてしまっては自己満足でしかない。これはプロフェッサー症候群というが、今回は吉野君(=司会)と相談した。最初作ったスライドは自分の研修医時代の自慢話などばっかり。内容を見て吉野君にダメ出しされた。このように相手から自分へのベクトルを感じることが大事。

慈恵5年男性:現在、病院実習を廻っていて各科で勉強させていただいているが、総合医ではいろんな範囲を勉強しないといけなくて大変では?あと今は科ごとに教育をやっているが、将来的にはどうやって総合医を育てるのか?

渡辺:総合医を育てるのは大変だというが私はそうではないと思う。もちろん「広く浅く」では仕方ないが。
私の臨床医としてのピークは卒後4年間だった。2年か3年で一通り総合医としての勉強はできる、後は生涯教育でさらに深めていくような、いわゆる「魚の取り方」のようなことを学んで欲しい。
どうやって総合医を育てるかだが、大学病院にいるのではcommon diseaseでない患者ばかりが来るので、市中病院と協力すればよい。そうすれば3年4年で一通り学べると思う。

司会:明日のイベントのお知らせを。田中祐次先生がいらして6時から生命医学センターで行われる。
それと、12月5日に、土屋班、医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究班の第5回班会議が行われる。また21世紀漢方フォーラムも行われて、3つの団体のトップがくる。

司会:以上で第二回の勉強会を終わりにする。


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